失語症者向け意志疎通支援者養成研修
失語症者向け意思疎通支援事業とは
令和2年度開講式 2020年10月4日
栃木県言語聴覚士会会長挨拶
令和2年度「第1回失語症者向け意思疎通支援者養成研修」の開催にあたりまして主催者を代表しまして、一言ご挨拶させていただきます。まず本事業を実施するにあたりまして、栃木県、宇都宮市役所には大変ご尽力いただき感謝申し上げます。そして、本日ご参加下さいました皆さん、コロナ禍の中でご参加下り、本当にありがとうございます。このような状況ですので、参加して下さる方が集まるのかと心配しておりました。しかし、すぐに定員を超える方々の応募がありました。主催する側として、ホッとしたところです。感染予防に万全を期して実施していきます。本事業は平成29年度より障害者総合支援法の地域生活支援事業の一環として、失語症者向け意思疎通支援者指導者養成研修が始まりました。そして昨年度からは支援者養成研修が地域で始められ、今年度は栃木を含めたすべての関東の都県で開催する運びになりました。失語症のある人の数は全国で約30万人といわれています。高齢社会の中ではさらに増加が見込まれます。失語症のある人は「聴く」、「話す」、「読む」、「書く」という言語面の問題だけではなく、その結果生じるコミュニケーション障害から、活動・参加の制約を抱えています。また、コミュニケーションがうまく取れないことから、人との交流が少なく、孤独になりがちです。
皆さまには、失語症のある人のコミュニケーションの支援、さらに外出・同行支援や会議などでの要点筆記の役割も担っていただき、失語症を理解しコミュニケーションを補い、失語症のある人の気持ちを受け止め、失語症のある人の意思疎通・社会参加を支援する支援者として活動していただきたいと考えおります。また、将来的には今日増えている異常気象や地震などの自然災害時、避難所等での意思疎通支援にも活動していただきたいと考えております。障害のあるなしにかかわらず、栃木県民、宇都宮市民の皆さんが、住み慣れた地域で、安心して、そして安全に生活することを支える、私達栃木県言語聴覚士会は目指していきたいと思います。
本講習会が、そのスタートとなることを願い、簡単ですが、主催者挨拶とさせていただきます。
~栃木県担当者からのメッセージ~ 県障害福祉課社会参加促進担当
失語症者への支援は、症状や程度によってさまざまであり、その専門性の高さから失語症者向け意思疎通支援者として活動するには全40時間のカリキュラムをこなす必要があります。受講生の多くが、福祉・医療従事者や身近に失語症を発症した方がいらっしゃると伺いました。長丁場にはなりますが、本研修において失語症者の意思疎通及び外出時の移動の介助に必要な知識、技能を身につけていただき、職場や御家庭で実践していただくことが、失語症者に対する支援の充実につながると考えております。国においては、次のステップとして、他人との意思疎通が困難なために孤立し引きこもりがちな失語症者に対し外出支援を行う「失語症者向け意思疎通支援者派遣事業」を支援メニューとして用意しています。引き続き、栃木県言語聴覚士会はじめその他関係団体等の皆様に御協力をいただきながら、派遣事業の実施、促進に向けて検討を進めて参ります。
最後になりましたが、栃木県言語聴覚士会の皆様方におかれましては、お忙しい中、本研修の開催にあたり御尽力いただき、御礼申し上げます。本研修が失語症者の社会参加を促進する一助となるよう、また新型コロナウイルスの脅威に負けず、研修最終日を迎えられるよう祈念して挨拶といたします。
失語症者向け意思疎通支援者養成事業は、障害者総合支援法(『地域生活支援事業』)に基づき栃木県と宇都宮市の共同で実施しています。本事業は、栃木県言語聴覚士会様に協力をいただきながら、平成29年度から指導者の養成に取り組み、今年度初めて研修を開催するに至りました。コロナ禍で生活様式が一変し、公私共にお忙しい中、定員を超える多くの方に御応募いただき、本事業の必要性を感じているところです。
当事者寄稿
失語症意思疎通支援者養成講座(2022年9月11日) 資料:失語症のある人の日常生活
前触れもなく冬の朝、突然に 鳥羽田 浩史
脳梗塞に見舞われたのは2015年11月上旬のことでした。家で父のジョギングをして普通に過ごしていた私が、体の異変に気づいたのは11時頃だったと思います。
洗顔中に左手が右手に触れたのですが、右手の感覚がなくて、「あれっ?」と。当時、2階にいたのですが、1階に下り、瞬間、ガクンとその場に倒れました。起き上がろうとしても、まったく体に力が入らなくて。そこからの記憶は全然ないです。家族が洗面所に駆けつけて私の顔を見たときには、顔の右側が垂れ下がっていたそうです。
これは危ない状態だと察して、救急車を呼んでくれました。後で、聞いたのですが、救急車に乗せられていて、「この症状は脳だと思うので、自治医科病院へ急ぎます」と言う救急救命士さんの声を聞きながら。
倒れてから2日ほど経過した頃、ずーっと意識がクリアになると同時に体が動かない事にきずきました。病院に着いたときには自力で歩けるようになるんだろか?ましては、喋れないと思いもしなかった。
入院中、どうしてこんなことになってしまったのだろうと幾度も考えました。血圧の数値が高いと指摘されていたれども。
ただ、今にして思えば、脳梗塞で倒れた頃の私は、仕事が大好きなはずなのに、自分がどこに向かって頑張っているのかわからなくなっていたのです。「疲れてるのかな」と内心気づいていたのに、気合で乗り越えるのが美徳だと信じきっていたので、病院で検査をしてみようとか、ゆっくり休もうという発想にはなれなくて。病院のベッドの上で「体の声を無視していたから、こういう方法で知らせてきたのか」と思ったりもしました。
退院が決まった時点でも、そこで「どうしたものでしょうか」と医師に尋ねたところ、「つきあっていくしかない」と。当然、不安がなくなるわけもなく、独自に治療法を探ることにしました。
退院後は、実家でしばらく療養生活を送っていたのですが、この期間は、どうしよかの、時期でした。当たり前のことですが、私がいなくても会社も社会も回っていく、ということを突きつけられる気がして。落ち込んだりもしましたが、まずは安心して生きたくて、情報を集めたり、知り合いに聞いたり。脳梗塞を患ったことはショックでしたが、それ以上に仕事や自分との向き合い方を見つめ直す転機となりました。人間って、何でも自分で意思決定できると過信しがちですよね。私も以前は、がむしゃらに努力をすればある程度のことは叶うはず、なんて傲慢なことを思っていました。
でも人生はままならないもの。自然の流れに身を委ねて生きていくのは大事なことだと思えるようになり、ずいぶんと柔軟な考え方ができるようになったと思います。
脳梗塞の予防には水分補給が欠かせないということで、一日に2リットルの水を小分けにして飲むのが日課。なかでも一番大切にしているのは、「いつもと違う」という感覚です。たとえばフルーツを食べて、普段より苦いと感じたら、疲れているのかもしれないと思って気をつけるといった具合に。自分の体の違和感や異変を見逃さない、自分をしっかり把握できる生活を心がけています。
病気の方やご家族が笑顔になれたり、「優しい差別」という言葉を耳にします。気を使いすぎることが、かえって当事者の本音を封じてしまったり、心を通わせる妨げになってしまうのだと。
脳梗塞になって、思う事。できれば、<脳梗塞になったなんて言いたくない。>ですよね。できれば、<ずっと黙ってたいよね。>ひっこみがちに、なってしまう。出不精になってしまう。恥は、かきたくないよね・・・いよいよ、臆病になってしまう。
人の、気持ちは、とても脆いのです。ましては、障害をもつものに対しては脆いのです。何も差別もないよね。といってもあるのです。私も、療養生活を終えて仕事に戻ったときに、職場の人たちから「大丈夫?」と声をかけてもらい、とても感謝しつつも、病気の話ばかりでどこか寂しいなと感じることもあって。できれば、「人の障害を持つ者にとって最善の苦労を共にして、知らず知らずのうちに引かれてしまう線のようなものを超えていきたい。人の障害を経験したからこそ、新たな伝え方ができる」と思っています。
洗顔中に左手が右手に触れたのですが、右手の感覚がなくて、「あれっ?」と。当時、2階にいたのですが、1階に下り、瞬間、ガクンとその場に倒れました。起き上がろうとしても、まったく体に力が入らなくて。そこからの記憶は全然ないです。家族が洗面所に駆けつけて私の顔を見たときには、顔の右側が垂れ下がっていたそうです。
これは危ない状態だと察して、救急車を呼んでくれました。後で、聞いたのですが、救急車に乗せられていて、「この症状は脳だと思うので、自治医科病院へ急ぎます」と言う救急救命士さんの声を聞きながら。
倒れてから2日ほど経過した頃、ずーっと意識がクリアになると同時に体が動かない事にきずきました。病院に着いたときには自力で歩けるようになるんだろか?ましては、喋れないと思いもしなかった。
入院中、どうしてこんなことになってしまったのだろうと幾度も考えました。血圧の数値が高いと指摘されていたれども。
ただ、今にして思えば、脳梗塞で倒れた頃の私は、仕事が大好きなはずなのに、自分がどこに向かって頑張っているのかわからなくなっていたのです。「疲れてるのかな」と内心気づいていたのに、気合で乗り越えるのが美徳だと信じきっていたので、病院で検査をしてみようとか、ゆっくり休もうという発想にはなれなくて。病院のベッドの上で「体の声を無視していたから、こういう方法で知らせてきたのか」と思ったりもしました。
退院が決まった時点でも、そこで「どうしたものでしょうか」と医師に尋ねたところ、「つきあっていくしかない」と。当然、不安がなくなるわけもなく、独自に治療法を探ることにしました。
退院後は、実家でしばらく療養生活を送っていたのですが、この期間は、どうしよかの、時期でした。当たり前のことですが、私がいなくても会社も社会も回っていく、ということを突きつけられる気がして。落ち込んだりもしましたが、まずは安心して生きたくて、情報を集めたり、知り合いに聞いたり。脳梗塞を患ったことはショックでしたが、それ以上に仕事や自分との向き合い方を見つめ直す転機となりました。人間って、何でも自分で意思決定できると過信しがちですよね。私も以前は、がむしゃらに努力をすればある程度のことは叶うはず、なんて傲慢なことを思っていました。
でも人生はままならないもの。自然の流れに身を委ねて生きていくのは大事なことだと思えるようになり、ずいぶんと柔軟な考え方ができるようになったと思います。
脳梗塞の予防には水分補給が欠かせないということで、一日に2リットルの水を小分けにして飲むのが日課。なかでも一番大切にしているのは、「いつもと違う」という感覚です。たとえばフルーツを食べて、普段より苦いと感じたら、疲れているのかもしれないと思って気をつけるといった具合に。自分の体の違和感や異変を見逃さない、自分をしっかり把握できる生活を心がけています。
病気の方やご家族が笑顔になれたり、「優しい差別」という言葉を耳にします。気を使いすぎることが、かえって当事者の本音を封じてしまったり、心を通わせる妨げになってしまうのだと。
脳梗塞になって、思う事。できれば、<脳梗塞になったなんて言いたくない。>ですよね。できれば、<ずっと黙ってたいよね。>ひっこみがちに、なってしまう。出不精になってしまう。恥は、かきたくないよね・・・いよいよ、臆病になってしまう。
人の、気持ちは、とても脆いのです。ましては、障害をもつものに対しては脆いのです。何も差別もないよね。といってもあるのです。私も、療養生活を終えて仕事に戻ったときに、職場の人たちから「大丈夫?」と声をかけてもらい、とても感謝しつつも、病気の話ばかりでどこか寂しいなと感じることもあって。できれば、「人の障害を持つ者にとって最善の苦労を共にして、知らず知らずのうちに引かれてしまう線のようなものを超えていきたい。人の障害を経験したからこそ、新たな伝え方ができる」と思っています。
養成研修日程表
令和6(2024)年度 栃木県失語症向け意思疎通支援者養成研修スケジュール
※コロナの状況によって会場・日程に変更がある場合があります。
※午前・午後を通しての研修については、1時間ほど昼食時間を取ります。
※午前・午後を通しての研修については、1時間ほど昼食時間を取ります。